東北学院榴ケ岡高等学校

年頭所感

2013年01月01日

 苦難と感謝・希望、そして学びの魅力を力に!  


 
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榴ケ岡高等学校長 湯本 良次


 新年明けましておめでとうございます。
 2013(平成25)年の年頭にあたり、今年も在校生、保護者、同窓生、教職員の方々のご多幸をお祈り申し上げ、より充実した一年が迎えられるよう祈念いたします。
 さて、東日本大震災から間もなく二年が経過しますが、復興の名のもと未だに苦難な生活を余儀なくされている方々が多数おります。この場を借りて、神の恵みと祝福がいつもそばにあるようお祈りします。
 昨年はロンドンオリンピック・パラリンピックで日本人の活躍に日本を始め被災地の人々に大きな勇気と希望を与えてくれたことは記憶に新しいところです。大会後多くの選手が被災地を訪れ、大きな励みと希望を与えてくれました。このように若いアスリートらが被災者を元気づける活動に動いてくれています。震災の苦難・困難をバネに新しいことへの挑戦が地元の若者に広まっています。地元の教育機関である東北学院がより地域との連携を強め、大きな発信力として全国はもとより世界にアピールしていくことが望まれます。平成24年度の本校の年間聖句は「だれでも自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」(コリントⅠ 10章24節)です。東北学院の建学の精神である「敬神愛人」、「献身犠牲」を具現化するための聖句で、この一年間、毎朝の礼拝を通して生徒一人ひとりに、神からこの世に賜った命(Life)に感謝し、自分には何ができるか、社会は自分に何を求め、何を期待しているのか(Light)を意識し、広い心で奉仕する(Love)ことをメッセージとして伝えてきました。今年も建学の精神をベースに、さらに「学びの魅力」を伝えて行きたい。
 論語に「子日、學而不思即罔、思而不學即殆」(子日わく、学んで思わざれば即ち罔し、思うて学ばざれば即ち殆うし)があります。意味は、孔子先生が言われた、「学んでも考えなければ、(物事は)はっきりしない。考えても学ばなければ(独断に陥って)危険である。」今から二千五百年前に孔子と弟子との問答の一つで、今の時代、学校での学びが一面的になっていることへの警鐘とも受け取られます。例えば、受験教科以外は手を抜いたり、学ぶことの意欲の低下も見られます。教養教育の見直しが叫ばれている中、「学びの魅力」をもう一度再確認すべきと考えます。具体的には、アジア諸国との交流を通して、日本人が忘れかけている「学びの魅力」を見いだすことができます。今のアジア諸国の躍進はかつての日本の成功例を真似たものがあります。交流を図り異文化を知ることで、より新しいグローバル社会の構築につながります。文科省も高校生の留学を推進するための予算増額を図ってきています。内向き志向の現状を打破するために、国を挙げて国際交流を推進していますから、国際交流を特色として、他国の人々とコミュニケーションを取りながら友好かつ公益な関係を築いてくれるよう前向きに取り組んで行きたいと考えます。
 故久能隆博前校長先生が提唱した「T・E・A・M・榴」をさらに具体的に展開していきたいと考えています。
 TはTraining(練達)、日常の学習活動はもちろん、放課後の部活動、または校外での社会的な活動を一生懸命に手を抜くことなく続けること。継続は力なりとも言えます。結果は必ずついてきます。原因のない結果はあり得ません。EはEncouragement(気概)、目標を立て、辛い時は相談しながら前向きに歩んでほしい。スクールモットーの「自学自律」の自律に相当します。自分の良心に従って正しい生き方をして欲しい。AはAmbition(目標・希望)、神が授けてくれたこの命を、どのように社会に還元するか、目標を持って希望あふれる生き方をしよう。明るい未来を築くのは若者であり、それを応援するのが大人の社会です。最後にMはModesty(謙虚)、日本人としてそして人間として、他者へのいたわりの気持ちを持ち、常に感謝の気持ちで触れ合い、目立たなくても「地の塩、世の光」たる存在として活動できる人材になって欲しい。
 東北学院榴ケ岡高等学校の生徒諸君には、社会で活躍する卒業生を目標に、同窓会、保護者、教職員、そして社会が支える共同体とてして歩み続けることをお願いし、年頭の挨拶とします。